リハビリ病院に転院してから、母からの電話の声はその日によって全然違った。
「お父さん今日は元気やったよ!」と弾んだ声の日もあれば、「今日、気になることがあった…」と沈んだ声の日もある。父の様子がそのまま母の気持ちになっていた。
でも今、あの頃を振り返ってみると、母の中に小さな不信感が少しずつ積み重なっていたことに気づく。当時の私には見えていなかったけれど。
車なし・バスで片道2時間|面会通院の体力的な限界
父が急性期の病院に入院してから、母は一日も欠かさず面会に通い続けていた。
急性期の病院は実家から交通の便が悪い場所にあり、バスを乗り換えて片道約2時間。それでも母は毎日通い続けた。日曜も祝日も関係なかった。
私が帰省しているときはレンタカーで送り迎えができた。母も「あなたがいると本当に助かる」と何度も言ってくれて、私も少しだけ役に立てた気がしていた。
リハビリ病院に転院してからは、さらに状況が厳しくなった。
病院の場所が不便で、最寄りのバス停まで距離があり、バスの本数も少ない時間帯は2時間に1本ほど。荷物があるときは特に大変で、雨の日以外はバスで行くと言い張る母が少し心配だった。
私たち兄弟は「いつでもタクシー使っていいから」と繰り返し伝えていたが、母はあまり使わなかった。
遠くから声だけ届ける日々|母の孤独を支えるために
沖縄に戻ってからは、母はまた一人で毎日面会へ向かうことになった。
「お父さん、元気やった?」と夜に電話をかけると、「今日はずっと眠ってばかりやった」「食事を全部食べたって看護師さんが教えてくれた」と、その日の様子を話してくれた。
実家に一人残った母が孤独を感じないよう、妹と私で毎日交互に電話をしていた。遠くにいる私にできる、ほぼ唯一のことだった。
父のベッドが濡れている|病院への不信感が積み重なっていく
ある日、母が父のベッドの肩のあたりが濡れていることに気づいた。
看護師に伝えると「今、手が離せないので待ってください」との返答。でも父はリハビリ病院に入ってすぐ肺炎を起こしていた。体が冷えることが心配で、母はもう一度シーツの交換をお願いした。
看護師との会話では「点滴は足にしているので、肩が濡れる理由はわからない」とのことだった。
その少し前にも、こんなことがあった。
「窓を開けっぱなしにすると寒いので閉めてもらえますか」と母がお願いしたとき、「他の患者さんもいるので、換気のために閉められません」と言われた。もしかして家族が会えない時間帯、外からの風で寒くても父は何も言えず布団をかけ直してもらえることもなく、ただ横になっていたかもしれない。
今思えば、母の心の中にはこんな言葉が積み重なっていたのだと思う。
「寒くても、布団をかけてもらえない」
「ベッドが濡れていても、すぐにシーツを替えてもらえない」
一つひとつは小さなことかもしれない。でも毎日面会に通う母にとって、それは少しずつ、確実に積み重なっていく不信感だった。
そしてこの不信感は、その後、私たち家族が崩壊するのではないかと思うほどの出来事につながっていきます。
次の記事では、父の食事量が落ち、リハビリも進まない中で、介護認定の調査員がやってきたことを書いています。

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